『エネルギー保存の法則の反証』

 薬品臭が漂う3時間目の理科室。ファッション感覚で白衣を着た博士ヘアーの教師が、教科書に印刷された内容をわざわざクセ字で黒板に書き直している。それをさらに生徒たちがノートに書き写すという手間のかかる伝言ゲームのことを教育業界用語で授業という。
「ある閉じた空間の中のエネルギーの総量は変化しない。例えば、この教室の中でアルコールランプに火を着けたとしよう。やがて燃料が無くなれば火は消え、エネルギーは失われたように見える。が、実は燃焼によって熱エネルギーが発生しているため、教室内のエネルギーの合計は常に一定なんだ。これをエネルギー保存の法則といって、振り子を使った実験の様子が資料集の43ページに―――」
「―――先生っ! その法則は間違ってると思います!」
 催眠効果付きの解説を遮るように物欲しげな手が挙がった。寝ぐせ頭の少年は指名もされていないのに立ち上がり目を輝かせる。が「また始まったよ鮫島の教科書間違い探し」「間違ってるのはお前の頭だろ」と、クラスメイトからは失笑とブーイングが起こった。
「しーずーかーにっ。確かに特殊相対性理論によってエネルギーは質量と等価であることが分かっているから、厳密にはエネルギー単独での保存則は成り立たない。ただテストには教科書通り出題するから心配ない」
 学問の最終目的が試験の点数稼ぎだと言っても常識として通用する。「そうだバーカ、座れ」「授業妨害すんなダメ島」権威に便乗した野次が飛び交うが少年は構わず続ける。
「違いますよ先生! 僕が言いたいのは、他の存在の意識を変える行為が共有する世界のエネルギーを増大させるってことなんです!」
「具体的には?」
「例えば音楽ですよ! 誰もいない場所で演奏するのと大勢の人の前で演奏するのは、労力に大差はないですけど、引き起こされる現象は後者の方がケタ違いに大きくなります!」
「それは単に聞き手側の体力が運動に変換されているだけであって、増加しているのはエネルギーではなく社会的な商品価値だろう」
「価値や情報もエネルギーです! 感動によって人間の生命力が活性化されて効率が上がれば、行える仕事量は大きくなるはずです!」
「もちろんエネルギーの質は変化する。それが人間にとって有益か否かで増減しているように錯覚しているだけで、物理化学的な量は少しも変わらない」
「人間だって化学物質です! それに、鉄や空気にだって意思はあります!」
 教室は3秒ほど時が停止した後、陰湿な大爆笑に包まれた。「だったら家帰って空気さんとお話してろよ」「先生、鮫島君は目立とうとしてわざと変なこと言ってるだけです。無視して授業を進めてください」と、学級委員もメガネをクイッとする大騒ぎに発展した。
「僕は真面目に発言してるんです! 万有引力を考えてみてください! その発生原理は未だに解明されていませんが、僕の考えでは、全ての物質が引き合うのは他の何かと反応したいという意志があるからだと思います! 意志は現実の力になるんです! だから他者の心を動かすことで新たな意志が生まれれば、その分エネルギーが増えるんです!」
 夢見る少年の演説に対し、市販の現実を刷り込まれた受験戦争の兵士たちからは「お前カルト教団の信者だろ」「いやただのSFオタクだろ」と、拍手ではなく敵意が送られた。
「しーずーかーにっ。仮説は定量的な裏付けがあって初めて理論となる。実験に基づく数値で証明すること……それがキミの宿題だ。皆の前で発表するのはそれからにしなさい」
「分かりました! 必ず証明してみせます!」
 少年は得意顔で着席し、下敷きを使ってないノートにガリガリと字か図かも分からない何かを書き殴り始めた。
 問題児をうまく誤魔化し退屈な授業が再開された教室には、数分前までは無かったものが生まれていたが、まだ誰も気付いていなかった。


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